潜在意識を味方につける
イチローは朝から晩までのあらゆることをルーティン化している。このことを目や耳にしたことがある人も多いことだろう。
朝食で食べるもの、球場までの道のり、ウォーミングアップの方法、そして、ウェイティングサークルからバッターボックスまでのひとつ一つの動作、それらが一本のヒットを生み出すために、完璧にパターン化されているのだ。
10時半 起床
12時 ブランチの食事
13時 自宅を出る
13時半 球場入り、マッサージ、ストレッチ、トレーニング、個人練習
15時半 他の選手が球場入り
16時半 チーム練習開始
17時半 チーム練習終了、食事
19時 試合開始
22時 試合終了
23時 帰宅
23時半 夕食
25時半 就寝(『一流の思考法』より)
どうしてイチローはそのような行動を自らに課しているのだろうか?
その一つの理由が「潜在意識」を味方につけるということである。
「人間の意識には潜在意識と顕在意識の2つの意識がある」という発見をしたのはオーストリアの心理学者フロイトであるが、「顕在意識」が普段から私たちが意識と呼んでいる領域のことで、自分の意思で選択できる範囲になる。
そして、「潜在意識」とは無意識の行動をつかさどる領域で、いわば自動車のオートクルーズのような役割を担っている。
この二つの意識は氷山と同じと言われていて、水面上に見える1割の部分が「顕在意識」であり、自分の意志や理性が支配している。「顕在意識」は様々な知識を習得したり、物事を判断したり、社会生活を送る上では欠かせない部分である。
これに対して、水面下にある9割の部分が「潜在意識」であり、ヒトとしての本能的な部分にあたる。
意識の9割を占める「潜在意識」を自分にとって好都合に働かせるということは、自分の持つ能力をより効果的に発揮するということに繋がり、イチローが取組んでいることは(意識的か無意識的かは別として)、自らの「潜在意識」を味方につけようという試みに他ならない。
それでは、イチローのストイックなまでのルーティンが「潜在意識」を味方にする仕組みとはどのようなものなのだろうか。
無駄なものを取り除く
2010年の流行語大賞にノミネートされた「断捨離(だんしゃり)」という言葉、もともとは「断・捨・離」という3つの別々の言葉からできている。
断=いらないものがうちへ入ってくるのを断ち切る
捨=使っていない不用品を捨てる
離=モノに対する執着カから離れる・精神的に自由になる
「断捨離」の考え方や名前を世に広めた人のは、クラター・コンサルタントのやましたひでこさんであるが、彼女によれば「断捨離」とは次のようなものである。
断捨離とは一言で言うと「モノの片づけを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術」ということになります。別の言い方をすると、家のガラクタを片づけることで、心のガラクタをも整理して、人生をご機嫌へと入れ替える方法。要するに、片づけを通して「見える世界」から「見えない世界」に働きかけていく。
(やましたひでこ 公式サイトより)
ここで言う「見える世界」とは顕在意識のことであり、「見えない世界」とは潜在意識のこと。つまり、「断捨離」という行為とは、潜在意識という「見えない世界」に働きかける方法論なのである。
そのような視点からイチローの一連のルーティンを考えてみよう。イチローは徹底したルーティン化によって不純物の排除を行い、自らの「潜在意識」に働きかけている。無駄なものを取り除くことのよって、最小限に残された研ぎ澄まされたものを利用して、最高のパフォーマンスを実現しづけているのである。
僕はザワザワしたものは好きじゃない。カレーならカツカレー、蕎麦なら天ぷらそば、そういうものはザワザワしています。カレーはビーフカレー、蕎麦ならざるそば、パンはクリームパン・・・このほうがシンプルでしょ。
イチローが食べ物について語った言葉であるが、イチロー流とは、新たに付け加えることではなく、ムダを削ぎ落してシンプルに立ち返ることである。そのような本質的な発想によって、自らが持つ可能性を最大限に引き出すことが可能になる。
潜在意識へアプローチする
アメリカの生理学者ベンジャミン・リベット教授(1916ー2007)は、人間がとある動作をしようとする「意識的な意思決定」以前に、「準備電位」と呼ばれる無意識的な電気信号が立ち上がるのを、脳科学的実験により確認した。
平均的に、われわれが「動作」を始める約0.2秒前には、「意識的な決定」を表すシグナルが現れる。しかしわれわれの脳内では、「意識的な決定」を示す電気信号の約0.35秒前には、それを促す無意識的な「準備電位」が現れているのだ。つまり、われわれが「こうしよう」と意識的な決定をする約0.35秒前には、すでに脳により決断が下されていることになる。
(ベンジャミン・リベット)
人間の持つ「自由意志」に関する論争を巻き起こした実験結果であったわけだが、もしこの実験結果が全て正しかったとすると、私たち人間は自らの「顕在意識」で何かを為しているのではなく、「潜在意識」という見えない領域の働きによって、何かを為しているということになる。
『受動意識仮説』という考え方の提唱を行っている前野隆司氏(慶應義塾大学大学院教授)は、ワンマン社長という例えを使って、このことについて分かりやすく説明してくれている。
わたしたちはワンマン社長のつもりです。
「これはこっちだ!」
なんて指示を出していますが、実際に会社を切り盛りしているのは現場で頑張っている社員たちなんです。
脳のさまざまな部位にある神経細胞が分担、協力して、どんどん物事を判断し、決定して、指示を出し、先に動かしている。彼らは社長の指示に「はい!」なんて、従順に従っているような顔をしているけど、じつは全部先にやっているんです。
社長はまったくそのことに気がついておらず、事後に報告されたことを「オレがやったんだよ」と思い込んでいる。
このように、社長(意識)を、すごく立ててくれる有能な社員たち(無意識)がつくる会社、それが人間なんです。あたかもサーチライトを当てたかのように感じて、自分が司令塔だと思っているけど、それはじつは錯覚なのです。(『無意識の整え方』前野隆司著より)
非常にユニークな切り口になっているが、この考え方に基づけば、先ほどのベンジャミン・リベット教授の実験結果への理解も進んでいくはずである。どうやら私たちは「顕在意識」を使って自らを動かしていると思っているが、実は「潜在意識」によって動かされているようである。
ますますイチローのルーティンが持つ意味が大きくなってくる。イチローは知ってか知らずか、自らの「潜在意識」にアプローチする方法として、一連のルーティンを確立したのだろう。そのひとつ一つの無駄のない動きの積み重ねがイチローのパフォーマンスを生み出している。つまり、イチローは在るべき姿や形を習慣化することによって、自らの内なる有能な社員を正しく働かせているのだ。
しかし、ここで一つだけ注意が必要である。数多くの自由意志に関する研究において、自由意志は幻想だという情報を与えられた被験者は、モラルに反する動向を示すことが多くなったというのである。人は自由意志の存在を疑うと、不正行為に走り、他人に協力することをやめる、といった傾向が強まることも報告されているというのだ。
どうやら人間は、自由意志への信念を捨てると、自分を倫理的責任を問われる存在だとみなさなくなり、決定論を受け入れることによって、心の奥底にある闇の部分におぼれてしまうという傾向があるという事実を、しっかりと理解しておくべきであろう。
様々なものを味方につける
2009年3月に開催された第2回WBCの決勝戦、イチローが演じた決勝打のシーンほど劇的なものは、なかなかお目にかかれるものではない。WBC期間中に極度の不振だったイチローが放った、まさに値千金の一打であった。
(打てたのは)技術ではまったくないです。完全に精神的なものですね。100%です。多くの視線がそこに注がれていることは、簡単に想像できましたし、僕だけの思いだけではない。全国民の思いがそこに詰まっている。こんなに思いものはなかったんですよね。
イチローはどんな深刻な不振に陥っても、決して諦めず、平常心を貫いてバッターボックスに立ち続けた。常に変わらず習慣化されたルーティンを繰り返し、土壇場での大仕事を完遂させたのだ。この瞬間、イチローは自分自身の「潜在意識」だけでなく、試合を見守る野球ファンの「潜在意識」までも味方につけたのかもしれない。
どんな逆境に直面しても、絶対に諦めてはいけない。あなたが自分自身を諦めることがなければ、必ず様々なものが味方につく。そして、必ずあなたの身の上にいいことがおこる。
最高のパフォーマンスを発揮する状態は、心胆と脳の全部が完全に機能している「真っ白な瞬間」である。行動の質は、いろいろな要因によって影響を受ける。何を食べたかや呼吸の仕方、心に思い浮かべたイメージ、周りの環境、時間帯などがその要因で、あなたをベストな状態にする「真っ白な瞬間」のためには、どれもが調和していなくてはならない。
(スポーツ心理学者 ジム・レーヤー)
世界的に著名なスポーツ心理学者であるジム・レーヤー氏は、ベストパフォーマンスを発揮するためにも、心技体が高いレベルで調和していることが重要であると述べている。その「心」の部分、自らの心胆と脳を機能させるためにも、自らの「潜在意識」の取り扱い方を理解し、「潜在意識」を味方につけよう。そのためにも、小さな小さな積み重ねをしっかりとやり切る、そんなマインドセットこそが必要になってくるのである。
シマケン【依存脱出ナビゲイター】
自らが、酒・たばこ・ギャンブルなどの様々な依存を克服してきた体験をもとに、依存脱出の手段を多くの人に伝える活動を行っている。