今日という日を完全燃焼する
野球を将来の職業とする、すなわちプロ野球選手になるには、ドラフト会議で指名されなければならない。そのためには、まず全国大会に出て活躍し、注目され、評価されなければならない。
中学時代から地域のスカウトの目にとまっていたイチローであったが、その第一歩として愛工大名電高校に入学をした。
愛工大名電の野球部では部員は全員寮生活をし、授業が終わると夕方まで連日練習をし、後輩たちは寮に戻った後も先輩部員たちの身の回りの世話(食事づくり、洗濯、マッサージなど)をしなければならなかった。 そして、夜の素振りは深夜にまで及び、翌日にはもちろん授業が控えているのである。
そこで僕は、毎日午前3時に起きることにしたんですよ。みんなが寝ているあいだに洗濯と乾燥を済ませてしまうことにした。これはなかなか難しかったです。3年生になるまで、丸2年間、満足に寝られなかった。
これこそが一流のマインドセット。今日やらなければならないことを明日に延ばしてはいけないのである。
運命で得た幸運を大切にしよう
イチローが愛工大名電高校3年の夏、名門中京高校との試合において、イチローは逆転2ランホームランを放つことで、スカウトに強烈な印象を与えた。
スカウトの人に名前を覚えてもらったのは、あの逆転ホームランがあったからだと思います。
もちろん、大切な場面で大きな仕事をやってのけるのが、一流と呼ばれる所以でもあると思うのだが、イチローほどの努力を積み重ねていれば、そのようなことは極めて当然の結果であろう。
けれど、それとは別に、彼が一流であり続ける理由がある。
イチローは高校3年のときにオリックスのドラフト4位指名を受け、プロ野球への道へと進んだのだが、その彼の才能を見い出したのが、スカウト三輪田勝利氏であった。
後年三輪田氏はあるドラフト事件が原因で自らの命を絶ってしまうのだが、シーズンを終え帰国すると、イチローは妻・弓子さんと共に三輪田氏の墓に手を合わせるという。
「三輪田さんが自らを見い出してくれたお陰で、今がある」という思いはイチローの心から永久に消え去ることはない。
あの人の支えがあったからこそ今の自分がある。そういう感謝の心を片時も絶やさない、イチローの心掛けが彼にすごいパワーを与えてくれているのである。
シマケン【依存脱出ナビゲイター】
自らが、酒・たばこ・ギャンブルなどの様々な依存を克服してきた体験をもとに、依存脱出の手段を多くの人に伝える活動を行っている。